クムルド大聖堂、アハルカラキ
ジョージアは、世俗的な側面だけでなく、宗教的にも豊かな古代史を有する国です。ジョージアは正教を最初に受け入れた国の一つであり、多くの教会が西暦1千年紀初頭に建設されました。
ジョージア最古の教会の一つである、クムルド村の聖公会教会(クムルド大聖堂)の遺跡は、同国のサムツヘ・ジャヴァヘティ地方にある古代都市ヴァルジアの近くに位置しています。この教会は、ジョージア建築を代表する傑出した建造物のひとつです。クムルド教会は、964年にアブハジア王レオ3世の命により、村を見下ろす丘の中腹に建てられました。
レオ3世は、アブハジア王ゲオルギ2世の子であり、王位を継承すると、カヘティ地方およびジャヴァヘティ地方を征服しました。ジャヴァヘティ地方の総督には、クムルド教会に刻まれた碑文にその名が記されているズヴィアド・マルシアニが任命されました。まさにこの時期に、レオ3世はアルメニアとの国境に位置するジャヴァヘティ地方に、正教会の教会堂を建立するよう命じ、その建設地としてクムルド村が選ばれました。
神殿に関するこれらの詳細は、レオ1世の命により刻まれた銘文によって明らかになりました。銘文には、「司教ヨハネは、レオ1世の治世下、ズヴィアド1世の代理統治下にあった964年5月、罪深き者サコツァリの手によってこの教会の礎を築いた」と記されています。これは、神殿がレオ1世の命により建築家サコツァリによって建てられ、964年にジャヴァヘティ地方をズヴィアド1世が代理統治していた時代に、司教ヨハネによって奉献されたことを意味しています。教会建設に関する記述のほか、碑文の壁面には建設者たちのための祈りも刻まれています。また、レオ1世の子孫であるバグラト4世の治世下に南回廊が建設されたことを示す碑文も存在します。さらに、14世紀に神殿が大規模に改修されたことを伝える銘文も確認されています。
当初、教会は縦29メートル、横20メートルの規模で、ドームの高さは15.3メートル、直径は9メートルありました。ドームは、建物の壁に接した6本の堅固な柱によって支えられていました。現在でも建物の東側にはドームの一部が残っており、そこには歴史上の人物の肖像画を見ることができます。神殿内には、10世紀に描かれた絵画の断片が装飾された祭壇も保存されています。
クムルドは、中世ジョージアにおいて建設された数少ない十字型ドーム教会の一つであり、その点でも極めて貴重な建築遺産です。クムルド教会の装飾は決して華美ではありませんが、洗練された意匠と独創性において他とは一線を画しています。建物はギリシャ十字型の平面構造を持ち、5つの半円形のアプシスに囲まれています(アプシスとは、ギリシャ語で「ドーム」を意味し、半円形・多角形・長方形などの平面を持ち、通常その先端は半ドームまたは閉じたドームで覆われた建築要素を指します)。教会の西側には、11世紀にバグラト4世の命によって東洋様式で建てられた長方形の回廊が設けられています。
紀元1千年紀の末には、クムルド教会はサムツヘ・ジャヴァヘティ地方における信仰の中心地であると同時に、ジョージアの教育的中心地の一つとしての役割も果たしました。生涯を通じてジャヴァヘティの発展に尽力した、クムルドのヨハネの功績は特筆に値します。