リシュタン、フェルガナ盆地旅行
リシュタンのツアー、観光スポットおよびアクティビティ
リシュタンの旅行ガイド
リシュタンはフェルガナ地方に位置する古代都市で、熟練した職人たちで有名です。特に、リシュタンは中央アジアで最大の釉薬をかけた陶器の生産地として広く知られています。
リシュタンの歴史
紀元前4世紀には、現在のリシュタン地域に集落が出現しました。紀元前3世紀から1世紀にかけては、シルクロードを通る隊商がこの地を通過していました。
リシュタンの名は、4世紀から文献に登場し、9世紀にはこの集落が「リシュトン」として知られるようになりました。かつてこの地名は「賢者」を意味する言葉であったとされています。
地元の住民たちは約1000年前から陶器作りを始めました。初めは粘土を使って日常の食器を作っていましたが、後に「イシュコル」と呼ばれる特別な青い釉薬を用いて、美しい装飾が施されるようになりました。この釉薬は、リシュタンの陶器に特徴的な輝きを与えるもので、天然の染料から作られています。
リシュタンの陶器は、リシュタンでのみ採れる赤土を使用して作られています。特に有名な製品としては、リャガン(大皿)、コサ(深いカップ)、ピアラ(取っ手のない飲み物用のカップ)、水差しなどがあります。
リシュタンは中央アジアで唯一、古代の陶器生産の伝統が今なお受け継がれている場所です。
現在、リシュタンの陶器は世界的に高く評価されています。この街には約100人の世襲職人がおり、彼らは古代から受け継がれた技術を世代を超えて伝えています。リシュタンにはおよそ1,000人の陶芸職人が活動しており、彼らの作品は小松市の朝倉山陶芸美術館やエルミタージュ美術館、そして世界中の美術館で展示されています。また、彼らの作品は多くの国際展にも出品されています。
リシュタンの観光スポット
古代集落
リシュタンの考古学的遺跡の多くは、20世紀前半にボリシェビキによって破壊されました。しかし、古代の集落の遺跡は現在も「ソヒビ・ヒドヤ」墓地に保存されています。20世紀半ばには、科学者たちによって発掘調査が行われ、紀元前からこの地に都市が存在していたことが確認されました。
リシュタンでは、古代の家屋や手工芸地区、陶磁器製品を焼く窯の遺跡が発見されており、これらの遺物は紀元前2世紀から1世紀に遡るものです。
「ソヒビ・ヒドヤ」墓地は、5世紀から10世紀にかけての集落の跡地であり、アラビア語の碑文が刻まれた古代の墓石が数多く残されています。また、12世紀に亡くなったブルハヌディン・アル・マルギナニ・アル・ロシドニーの象徴的なお墓もこの地にあります。
2010年、墓地に近いマハラ(居住地区)であるダフベドで、考古学者が5世紀から11世紀にかけての防御用の城壁の一部を発見しました。その城壁には土石流の跡が見られます。
ホージャ・イルガル・モスク
ホージャ・イルガル・モスクは、19世紀後半から20世紀初頭にかけて、リシュタンの歴史的な場所である「ソヒビ・ヒドヤ」墓地の敷地内に建設されました。このモスクは40 x 13メートルの小規模な建築物で、3本の柱によって支えられており、3辺を囲む祈りの広場を持っています。モスクの中央には、カーバ神殿の方向を示す美しいミフラーブがあります。
モスクの敷地内には「コーリホナ」と呼ばれるコーランを読むための部屋があり、8〜9世紀にゾロアスター教徒のために建てられた建物が後にコーリホナとして改築されました。このコーリホナは尖塔のような形をしており、ドームは中央アジアの部族の帽子の形に似ています。また、モスクの周辺には古代のプラタナス、ヤナギ、ニレの木が植えられています。モスクのそばには「ハウズ」と呼ばれる人工池も存在しています。
陶芸センター
リシュタン国際陶芸センターは2020年に建設が始まりました。この街には青い釉薬を使った独自の陶器を作る職人が数百人いるものの、これまで統合的なセンターは存在していませんでした。このプロジェクトの設計者は、著名なリシュタンの陶芸家であるアリシェル・ナジロフ氏です。
2020年末には、センター内に20の工房が建設され、それぞれが2階建てとなっています。工房のデザインはそれぞれ異なり、職人たちの個性が感じられるものになっています。工房には独立したガスや電気の供給ラインが接続されています。
また、センターの敷地内には、リシュタンの歴史博物館や観光客向けの宿泊施設も併設されています。
リシュタンは、訪れる人々を魅了する本物の東洋の風情を持つ街です。ぜひ、有名な陶芸家ルスタム・ウスマノフ氏やアリシェル・ナジロフ氏の工房を訪れてみてください。