シルクロードの文化交流

東と西の文化の架け橋

シルクロードは商品の交換だけでなく、文化の交流も行われました。例えば、クシャーナ朝の宗教の一つである仏教がキャラバン商人と僧侶によってインドから中央アジアと中国に伝わりました。今でもシルクロード沿いの多数の都市で仏教遺跡をみることができます。

キリスト教布教の第一波は、ネストリウス派の活動と結びついており、ゾロアスター教とキリスト教の教えを集めて作られたマニ教とキリスト教が、近東から中央アジア、さらに中国へと浸透していきました。13世紀には、シルクロードは、カトリックの宣教活動にもつかわれました。

7世紀には、アラブのカリフの戦士たちがイスラム教を広めました。元々はアラビアの軍隊の力によって広められたものでしたが、シルクロードに沿って自然に広まっていきました。

シルクロードは、物資の供給源だけではなく、その製造に関する情報、すなわち技術も提供していました。特に、絹、ステンドグラス、紙、本、火薬、鉄砲の製造方法がシルクロードを通して広がりました。

長らく中国が独占していた養蚕や絹織物は、5~6世紀にホータンから中央アジア、イラン、ビザンチン帝国に伝わりました。また、逆に、ガラス工芸は地中海の国々からイランや中央アジアに伝わり、5世紀には中国にまで伝わりました。

中国の影響を受けて、中央アジアでは養蚕と製紙が発展し始めました。中国の外での製紙は、8世紀のサマルカンドで中国の職人たちによって最初に導入されました。その後、それは西洋に広まり、かつての筆記具、羊皮紙やパピルスを追い出しました。

他国の文化はシルクロードに沿って行われた建築や都市計画に大きな影響を与えました。中央アジアでは様々な建築から見ることができます。ウズベキスタンには、サマルカンドのティムールの建築物、シャフリサーブスのアク・セライ宮殿、グル・エミールの墳墓、カザフスタンにはテュルキスタンのモスクなどがあります。

これらは様々な国の建築様式、形、建築技術を組み合わされており、中東の建築家だけでなく、イラン、アゼルバイジャン、アルメニア、ジョージア、イラク、シリア、小アジア、インドの巨匠によって建てられました。

何世紀にもわたってキャラバンのルートは、科学者、研究者によって頻繁に使用されていましたが、その中で最も知られているのはヴェネツィアの商人マルコ・ポーロです。

物品、美術品、建築、壁画などの普及とともに、東洋と西洋の間では音楽やダンス、演劇などの文化的な交易が行われました。

中国では東トルキスタンと中央アジアの音楽が最も人気があり、インド、カシュガル、ブハラ、サマルカンドの伝統的に保護されていた音楽の伝統は、中国の音楽の伝統と融合しました。イラン人、ソグド人、テュルク人の俳優は、中国の踊りの振り付けに大きく貢献し、東洋の俳優たちはしばしばコンスタンティノープルで公演を行いました。

シルクロードでの異文化の豊かさを証明する資料は数多見つかっています。それはタンテラコッタダンサー、仮面の俳優、ラクダに乗っていた音楽グループのコレクションです。これらの俳優の顔は中央アジアの人々のものです。当時のフレスコ画はパンジケント、バラフシャ、トプラク・カラ、東トルキスタンなどの都市に残っており、音楽家や俳優が描かれています。